高杉晋作の名言|「おもしろき こともなき世を おもしろく」の意味と下の句・辞世の句を解説

    「おもしろき こともなき世を おもしろく」。

    幕末の長州藩(いまの山口県)で、奇兵隊をつくり、わずか27年の生涯で時代を大きく動かした高杉晋作の言葉です。

    「つまらない世の中を、おもしろく生きてやろう」という前向きな言葉として、座右の銘にしている人もたくさんいます。でも実は、この言葉には続きの「下の句」があり、それを詠んだのは高杉本人ではないといわれているのを知っていますか?

    この記事では、高杉晋作の名言の意味と背景を、エピソードとあわせてわかりやすく紹介します。

    • 「おもしろき こともなき世を おもしろく」の意味と下の句
    • 辞世の句として伝わるエピソード
    • 都々逸「三千世界の鴉を殺し」
    • 師・吉田松陰や、伊藤博文が残した高杉晋作への言葉
    • 高杉晋作は何をした人か
    目次

    「おもしろき こともなき世を おもしろく」の意味と下の句

    全文は「すみなすものは 心なりけり」まで

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

    漢字で「面白き事もなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」と書かれることもあります。五・七・五・七・七の和歌の形です。

    部分言葉詠んだ人
    上の句おもしろき こともなき世を おもしろく高杉晋作
    下の句すみなすものは 心なりけり野村望東尼(のむら ぼうとうに)とされる

    意味:世の中をおもしろくするのは、自分の心しだい

    上の句の意味:おもしろいこともない世の中を、おもしろく(生きてやろう)。

    下の句の意味:(世の中をおもしろく)住みこなしていくのは、結局は自分の心なのだ。

    上の句だけを読むと「つまらない世の中を、自分の力でおもしろく変えてやる」という、行動派の高杉らしい強い決意に聞こえます。

    一方、下の句がつくと「世の中がおもしろいかどうかは、自分の心の持ち方で決まる」という、少しおだやかで内面的な意味に変わります。同じ上の句でも、下の句によって受け取り方が変わるのが、この歌のおもしろいところです。

    下の句を詠んだ野村望東尼とは?

    野村望東尼は、福岡藩出身の歌人で尼僧です。尊王攘夷の志士たちをかくまい、高杉晋作が身を隠したときも自分の山荘にかくまいました。のちに望東尼が島流しにあうと、高杉は仲間を送って救い出しています。

    高杉が結核で病の床についたとき、そばで看病していたのが望東尼でした。二人は、命を助け合った深い信頼で結ばれていたのです。

    辞世の句として伝わるエピソード

    「おもしろき」の歌は、高杉晋作の辞世の句としても知られています。よく語られるのは、次のようなエピソードです。

    死の床にあった高杉は、筆をとって「おもしろき こともなき世を おもしろく」と上の句を書いたところで力尽きてしまった。そばにいた望東尼が「すみなすものは 心なりけり」と下の句をつけると、高杉は「おもしろいのう」と言って、静かに息を引き取った。

    1867年(慶応3年)4月、高杉晋作は下関で亡くなりました。満27歳という若さでした。

    ただし、この上の句は臨終の場で初めて詠んだものではなく、病床にあったころに詠んでいた句に、看病していた望東尼が下の句を続けたのだ、とする説もあります。いずれにしても、最期まで「おもしろく」生きようとした高杉らしい言葉として、今も多くの人に愛されています。

    高杉晋作のそのほかの名言・言葉

    西へ行く 人を慕ひて 東行く 心の底ぞ 神や知るらん

    西へ行く 人を慕ひて 東行く 心の底ぞ 神や知るらん

    意味:西へ行った人(西行法師)を慕いながら、私は東へ行く。その心の底は、神だけが知っているだろう。

    1863年(文久3年)、高杉は藩に「10年間のお暇(いとま)」を願い出て頭を丸め、「東行(とうぎょう)」と名乗りました。平安時代末期から鎌倉時代初めの歌人・西行法師にあこがれ、その名にちなんだ号です。

    この歌は、その気持ちを詠んだものとされています。「東へ行く」には、江戸の幕府に立ち向かう決意がこめられていたともいわれます。高杉は、平和な世の中なら詩人になりたかったとも伝えられ、たくさんの漢詩や和歌を残しました。お墓にも「東行墓」と刻まれています。

    三千世界の鴉を殺し 主と朝寝がしてみたい

    三千世界の鴉(からす)を殺し 主(ぬし)と朝寝がしてみたい

    意味:世界中のカラスを殺してでも、あなたとゆっくり朝寝坊がしてみたい。

    「都々逸(どどいつ)」という、七・七・七・五の音で歌う江戸時代の流行歌です。「三千世界」は仏教の言葉で、この世のすべて、全宇宙のこと。朝になるとカラスが鳴いて、恋人と別れなければならない。そのカラスがいなくなれば、ずっと一緒にいられるのに、という恋心を歌っています。

    高杉晋作が作った都々逸として有名ですが、作者についてははっきりせず、諸説あります。三味線を愛し、遊び心もあった高杉のイメージにぴったりの歌として、今も語り継がれています。

    功山寺挙兵での言葉

    1864年の暮れ(元治元年12月)、長州藩は幕府に従う「保守派」が実権を握り、高杉たち改革派は追い詰められていました。そのとき高杉は、下関の功山寺に集まったわずか80人ほどの仲間とともに兵をあげます。これが「功山寺挙兵」です。

    出陣の前、高杉は功山寺にいた公家たちに「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」と言い放ったと伝わります。この挙兵をきっかけに、長州藩は幕府と戦う道へと大きく舵を切りました。

    高杉晋作に送られた言葉

    師・吉田松陰の言葉「死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし」

    死は好むべきにも非ず、亦(また)悪(にく)むべきにも非ず。(中略)死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。

    意味:死は好むものでも、嫌うものでもない。死ぬことで後の世まで残る価値があるなら、いつ死んでもよい。生きて大きな仕事ができる見込みがあるなら、どこまでも生きるべきだ。

    高杉晋作は、萩の松下村塾で吉田松陰に学びました。久坂玄瑞と並んで「松下村塾の双璧」と呼ばれた、松陰の一番弟子の一人です。

    この言葉は、「男子が死ぬべきところはどこか」とたずねた高杉に、牢の中の松陰が手紙で答えたものです。松陰はこのあと処刑されますが、その教えは高杉の生き方そのものになりました。

    吉田松陰の言葉については「吉田松陰の名言|「夢なき者に理想なし」は本当?辞世の句・留魂録・至誠の意味」で詳しく紹介しています。

    伊藤博文の碑文「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」

    動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。

    意味:ひとたび動けば雷や稲妻のように速く、行動を起こせば嵐のように激しい。

    高杉晋作のもとで戦い、のちに初代内閣総理大臣になった伊藤博文が、高杉をたたえて書いた言葉です。下関市の東行庵(とうぎょうあん)にある高杉晋作の顕彰碑の書き出しに刻まれています。

    思い立ったらすぐに動き、誰も思いつかない方法で道を切り開く。高杉晋作という人を、これほど短く言い表した言葉はないかもしれません。

    「困ったと言わない」は高杉晋作の名言?

    インターネットや本では、「人間、窮地におちいるのはよい。(中略)だから、おれは困ったの一言は吐かない」という言葉が、高杉晋作の名言として紹介されることがあります。

    どんなピンチでも「困った」と言わず、楽しむように切り抜けた高杉らしい言葉ですが、本人が言ったことを示す確かな出典は見つかっていません。伝記や小説などを通して広まった言葉と考えられます。座右の銘にするときは、「高杉晋作の言葉として伝わる」くらいの受け止め方がよいでしょう。

    高杉晋作はどんな人?何をした人?

    項目内容
    生没年1839年(天保10年)〜1867年(慶応3年)。満27歳で亡くなる
    出身長州藩・萩(いまの山口県萩市)の上級武士の家
    師吉田松陰(松下村塾)
    号東行(とうぎょう)
    死因結核(肺の病気)
    眠る場所山口県下関市の東行庵の近く

    高杉晋作がしたこと

    年できごと
    1857年ごろ松下村塾に入り、吉田松陰に学ぶ
    1862年幕府の船で中国・上海へ。外国に支配されつつある清の姿を見て、強い危機感を持つ
    1863年武士だけでなく、農民や町人も加われる軍隊「奇兵隊」をつくる
    1864年四国連合艦隊との講和の交渉役をつとめる。暮れに功山寺で挙兵
    1866年幕府が長州を攻めた戦い(第二次長州征討)で、病をおして指揮をとり、幕府軍を破る
    1867年結核のため、下関で亡くなる

    身分に関係なく、やる気のある人を集めた奇兵隊は、当時としては画期的な軍隊でした。高杉が亡くなった半年あまり後に大政奉還が行われ、時代は明治へと移っていきます。高杉は新しい時代を見ることはできませんでしたが、その道を切り開いた一人でした。

    高杉晋作の名言から学べること

    • おもしろさは、自分でつくる:つまらないと嘆くより、どうしたらおもしろくなるかを考える。
    • 心の持ち方で、世界の見え方は変わる:望東尼の下の句が教えてくれるのは、外を変えるだけでなく、内側を変えることの大切さです。
    • 思い立ったら、すぐ動く:「動けば雷電の如く」。迷っている時間がもったいないときもあります。
    • 生きる意味を考える:師・松陰の「生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし」は、今を一生けんめい生きることの大切さを教えてくれます。

    よくある質問

    Q. 「おもしろき こともなき世を おもしろく」の下の句は?

    A. 「すみなすものは 心なりけり」です。高杉晋作ではなく、看病していた歌人の野村望東尼がつけたとされています。

    Q. 「おもしろき こともなき世を おもしろく」はどういう意味?

    A. 「おもしろいこともない世の中を、おもしろく(生きよう)」という意味です。下の句まで合わせると「世の中をおもしろく生きられるかどうかは、自分の心しだいだ」という意味になります。

    Q. 高杉晋作の辞世の句は?

    A. 「おもしろき こともなき世を おもしろく」が辞世の句として知られています。上の句を書いたところで力尽き、望東尼が下の句をつけたというエピソードが有名です。

    Q. 高杉晋作は何歳で亡くなったの?

    A. 1867年(慶応3年)4月、満27歳(数え年29歳)で亡くなりました。死因は結核です。

    Q. 高杉晋作の読み方は?

    A. 「たかすぎ しんさく」と読みます。号の「東行」は「とうぎょう」と読みます。

    まとめ

    • 「おもしろき こともなき世を おもしろく」の下の句は「すみなすものは 心なりけり」
    • 下の句は、高杉を看病していた野村望東尼がつけたとされる
    • 辞世の句として知られ、満27歳で亡くなった高杉の生き方そのものを表す言葉
    • 「三千世界の鴉を殺し」は高杉作と伝わる都々逸だが、作者には諸説ある
    • 伊藤博文は高杉を「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」とたたえた

    短い人生を、まさに嵐のように駆け抜けた高杉晋作。毎日が少し退屈に感じたときは、「おもしろき こともなき世を おもしろく」と口に出してみてください。どうしたらおもしろくなるか、自分の心が考えはじめてくれるはずです。

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